yuppysの日記

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点字の父『ルイ・ブライユ』の生き方と生涯

 

小学校の国語の教科書に登場するルイ・ブライユ点字の父と呼ばれる人で、点字の発明をしたすごい人物です。

点字に興味をもった我が子はこの人物のこと、もっと詳しく知りたいと!そこで、いっしょに調べてみました。

 

ルイ・ブライユ

フランス人男性(クーヴレ村出身)

1809年1月4日 誕生

1852年1月6日 死去

 

【目次】

 

 

誕生と家族構成

 

ルイ・ブライユが生まれた1809年は、日本では江戸時代。11代将軍徳川家斉のとき。

父親は家の1階で馬具屋を営んでいた。

ルイ・ブライユは4人兄弟の末っ子。2人の姉と1人の兄がいた。

 

 

失明の原因

 

3歳のときに、片目を失明する。

原因は事故。両親がいないときに父親の職場で遊んでいて、父親が仕事で使っていた革に穴を開けるための道具(きり)で目を突き刺してしまった。

5歳のときに、もう片方の目も失明する。

原因は左目を刺したときの感染症。このとき、両目が見えなくなってしまった。

 

 

学校生活と点字の発明

 

両親らは状況をできる限りよくしようと、ルイ・ブライユが地元の学校の授業に参加できるよう取り計らった。

ルイ・ブライユは聞いたことをほとんど覚えてしまうほど優秀で、クラスで成績が一番になった年も何度かあった。しかし、目の見える人のために考えられた教育方法だったため、目の不自由なルイ・ブライユが学べることには限界があった。

そこで、10歳のときに、パリの盲学校に入学。

当時の盲人が教育を受けられることは珍しく、路上で楽器の演奏などをして生活を送る人が多かった。ルイ・ブライユが盲学校に入れたのは幸運。

ここで点字に出会う。その当時、使われていた点字はシャルル・バルビエという軍人が考えたもので、12個の点を使って文字を表わすものだった。12個も点を使う点字は難く、もっと簡単なものにできないかと考え、研究を始めた。

14~16歳のとき、ルイ・ブライユは研究を重ねた結果、縦3点・横2点の6個の点を使ってアルファベットや数字を表わす新しい点字の仕組み、6点点字を完成させた。

 

 

点字の研究と開発

 

卒業後、ルイ・ブライユは盲学校に残り、教師となる。

ルイ・ブライユの作った点字はすばらいものだったが、多くの人はそうは考えなかったため、6点点字はなかなか認めてもらえなかった。それで、ルイ・ブライユは学校の先生となって、さらに研究を進め、自分の作った点字を説明する本を書く。また、点字の楽譜や、目に見える人と見えない人が互いにコミュニケーションを取れる文字の開発にも取り組んだ。

43歳のとき、20代半ばからわずらっていた肺結核のため、盲学校の寄宿舎で亡くなる。

 

 

ルイ・ブライユの死後と点字の広まり

 

ルイ・ブライユの死から2年後の1854年、フランス政府は彼の点字を認めた。

その後、ルイ・ブライユの作った点字は世界中へと広まっていった。

日本でも、ルイ・ブライユが作った点字をもとに50音の点字が発明された。この点字を発明したのは、石川倉治(1859~1944)である。

 

 

まとめ

43歳で生涯を終えましたが、ルイ・ブライユが発明した点字は後世に残り続けています。世界中の人々に大きな希望を与えるきっかけを作った、すばらしい人物ですね。